第44番礼所 大寶寺 子どもと四国お遍路88ケ所御朱印巡り 山門に巨大なわらじが奉納されている山の札所

44番大寶寺のアイキャッチ画像 遍路四国88ケ所巡り
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88ケ所の順番ばらばらに巡っている、四国お遍路巡り。

子どもと一緒に車での巡礼をしています。

愛媛県上浮穴郡久万高原町にある44番大宝寺(だいほうじ)に行ってきました。

藩からも地元からも篤く信仰された中礼所

44番の大宝寺は88か所のちょうど半分で、中礼所と呼ばれる。43番の明石寺から歩きのルートで約70キロ。車のルートで約78キロと、88か所中でもかなりの移動距離である。

43番明石寺からは、国道56号線を利用し、城下町の大洲市を通り、古い町並の残る内子町を抜ける。国道379号線に入って山中へと進むが、峠をいくつも越えるため、歩きでは遍路半ばの山場となるだろう。それもあってか、山門には88か所でも最大級のわらじが奉納されている。

それでは早速、四国88ケ所巡り、愛媛県上浮穴郡久万高原町第四十四番の大宝寺(だいほうじ)をみていきましょう。

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第44番 大宝寺 中礼所 車でいってみた

大宝寺詳細

44番大寶寺の大師堂
大宝寺
宗派真言宗豊山派
開基明神右京・隼人
創建701年(天宝元)
山号菅生山
本尊十一面観世音菩薩

大宝寺 四国霊場第44番礼所。

寺の創建は大宝律令ができ、律令制度が確立した710年(大宝元)と伝わる。

縁起によると、百済の聖僧が山中に十一面観音像を安置したところ、明神右京と隼人という狩人の兄弟が管草の中に見つけ祀ったという。文武天皇(在位697〜707)の勅命で寺院が建立され、元号にちなんで大宝寺と名付けられた。その後、822年(弘仁13)に弘法大師がこの地で密教を修法し四国霊場と定める。同時に天台宗から真言宗に改めた。

1152年(仁平2)に全山焼失するが、後白河天皇(在位1155〜1158)によって再建される。脳の病気に悩む天皇が病気平癒を祈願したところ快癒したため。妹宮を住職に任じ勅願寺とした。境内には妹宮の遺体を祀る陵権現が伝わり、頭の病気に霊験あらたかという。

七堂伽藍を供え、隆盛を誇ったものの天正の兵火で焼失。江戸時代に松山藩主の寄進もあって復興を果たすが、1874年(明治7)に3度目の全焼。このときは檀家からの寄進で再興を果たした。

地元から崇敬される大宝寺には、「久万山農民一揆」にまつわる逸話が残る。1741年(寛保元)に起こった3000人もの農民一揆で、ときの住職斉秀が仲裁し、1人の断罪者も出ることなく、ことなきを得るに至ったという。松山藩は大宝寺に150石を寄進し労をねぎらった。

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恒例の44番ポーズ

44番大寶寺の人文字
44の文字

44を表現してみました。

大きな山門があるのですが、悪路を進んで寺にもっとも近い駐車場に停めた為、山門は無しです。

45番の岩屋寺で歩き疲れていたのもあって、楽をしてしまいました・・・

  • 1回目は12箇所、2回目は4箇所のお寺を巡りました。
  • 2回目は84-87番です。
  • 3回目は46-53番です。
  • 4回目は54-59番です。
  • 5回目は79番のみ。
  • 6回目は65.66.72-76番です。
  • 7回目は38-45番です。

子どもと巡るメリット 大宝寺

44番大寶寺の子どもと寺に向かう
大宝寺を歩く
目的

お金の大切さと、挨拶等の練習。

お寺から得るものは多数ある。

恥ずかしがらずに何でもできるように経験させることで、子どもの成長にも役に立つと思ってます。

大きいお子さんであれば歴史の勉強にも役に立ちそうですね。

大宝寺での子どもの様子

44番大寶寺の子どもと手水場
手水場

まずは手水場でいつもの手を清めます。

44番大寶寺の子どもが鐘を鳴らす
鐘を鳴らす

2人で1回づつ本堂の鐘を鳴らしています。

44番大寶寺の子どもと納経所に向かう
納経所

納経所へ御朱印をいただきにいきます。

88か所のうち半分を超えましたが、もう慣れたものです。

てきとーる的 大宝寺 ベストショット

44番大寶寺の弘法大師像
弘法大師

大宝寺はこれといった印象に残る景色が無いように感じました。

山の中にあるお寺で、木々が生い茂っている印象。

ちょうど上の写真のイメージが、大宝寺を物語っているように思えます。

てきとーる的 大宝寺 見どころ案内

44番大寶寺の入り口の階段
大宝寺

大宝寺の階段、ここにたどり着く前に大きな山門がありますが、お寺すぐそばの駐車場に停めた為、山門は見てません。

※お寺すぐそばの駐車場は悪路の為、車での走行は注意が必要です。

44番大寶寺の水子地蔵
水子地蔵

階段のすぐとなりには水子地蔵。

お寺に近い駐車場に停めると、まず水子地蔵が出迎えてくれることになります。

44番大寶寺の鐘楼
鐘楼

階段を上ると鐘楼。

うっそうと茂る植物が迫っており、なにか寂しい印象の鐘楼。

44番大寶寺の本堂
本堂

本堂です。

白い奉納幕が印象的です。

44番大寶寺の大師堂
大師堂

大師堂は正面から入るようになっておらず、横から入っていく珍しい形式。

44番大寶寺の掘出観音堂
掘出観音堂

昭和初期に霊能祈祷師によって見つかった、観音が祀られているようです。

地面に埋めてあったものを見つけたようで、ものすごいパワーを感じる方がいたようです。

昭和9年(1934年)の正月、霊能祈祷師だった「石田そよ」という女性が北の鎮守・牛頭天王堂に参拝して参道を下り始めた時、突然身震いが走り、何かが乗り移った。その日以来、仏前に向かうそよさんは、度々自分を忘れて「我は管生山の金の性じゃ、掘り出せ、掘り出せ」と口走るようになった。この間もそよさんは参拝を欠かさず、庫裏に立ち寄っては「何とか掘り出していただけないか」と訴え続けた。住職もそよさんの異常な様子に境内を掘る許可を出した。五月七日にそよさんは人夫を連れてきて牛頭天王の祠の前に座って拝み続けた末、掘る場所の霊感を得た。それは祠の横、こんもり盛り上がった地点だった。腐葉土を除けて掘り返すと、樹齢千年余りと思われる木の根が現れ、その真下三メートル位の所から金銅製の観音像が掘り出された。

経文を書いた平らな石130枚が敷き詰められた下に仏像は眠っていた。二日間にわたる作業の末、七体の仏像が発見された。五月九日には開眼法要が盛大に行われたという。専門家の鑑定によると、掘り出された仏像は鎌倉時代初期のものだという。

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御朱印とお札 第44番礼所大宝寺

納経(動画あり) 大宝寺

44番大寶寺の入り口
納経所

画像の右奥にあるのが納経所です。

大宝寺の御朱印は過去最低でしたね。

対応してくれた人はおそらく代理?スマホをいじりながら待っており、御朱印もなぐり書き。

言葉も無いし、御朱印帳は投げるし、ひどすぎる対応。

まー、見た目からしてTシャツだし、適当な印象はあったのですが・・・

御朱印動画↓

御朱印してもらうには納経帳を持参しましょう。

納経帳はネットで買う方が、いろいろあり好みのものを選ぶことができます。

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御朱印と御札(御詠歌札) 大宝寺

44番大寶寺の御朱印
大宝寺御朱印

大宝寺御朱印はひどい状態。

朱印も薄いし、文字の場所も左より。

ある意味統一感はありますが、明らかに適当に描かれた御朱印。

対応する人によって当たりはずれがあるのも御朱印です。


44番大寶寺のお札
大寶寺御札

左は十一面観世音菩薩です。

シンプルな美しさを感じさせてくれる本尊の御姿です。

令和元年5月〜令和3年12月末まで右側の御札が授与されます。

右側のには歌が記載されています。

いまの世は大悲のめぐみ菅生山

ついにはみだのちかいをぞ待つ

まとめ 第44番礼所大宝寺

44番大宝寺の大師堂と観音
大宝寺の観音様

山門をショートカットして、悪路を進んだのはちょっともったいなかった大宝寺。

御朱印も残念な結果で、あまりよい印象は無かったお寺でした。

山門をちゃんと通らなかった故、悪いことが影響してきたのかもしれません。

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